バンコク混声合唱団

本稿は泰国日本人会誌クルンテープ2006年3月号に掲載の予定です。
執筆者であるH田支局長の許可を得て、掲載に先駆けWEB上で一挙公開。

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初の海外遠征は?マーマーヨ

〜第2回アジア日本人男声合唱祭〜

男声合唱団マーマーヨ

アジア各地から集まった男たち90人の歌声が地鳴りの如く響き渡る。多少音が外れていようと、聴衆がどう思おうと、人生の酸い甘いを経験したおじさんたちにとっては、完全なる自己陶酔の瞬間だ。血圧が上がりすぎてこのまま天に昇ってしまうがいるかもしれないという心配が主催者の胸をよぎる。


グリー馬鹿が再び集まる
去年のバンコクに続いてこの2月11日土曜日、マレーシアの首都クアラルンプール(KL)で第2回アジア日本人男声合唱祭が開かれた。男声合唱にのめり込んで家庭を滅ぼす男(もともと家庭が持てない人もいるが)を敬愛をこめて「グリーばか」と呼ぶ。中国語でいえば「男声合唱迷」か。アジアの日本人グリーが一同に会する機会が、このマレーの虎・快傑ハリマオもびっくりというアジア始まって以来の男声合唱祭だ。ことしはバンコクの他、地元クアラルンプール、ジャカルタ、マニラ、香港、それに上海が加わって、ああ堂々6都市からの参加となった。バンコクで開かれた初めての男声合唱祭は「最初で最後」かと思われた。が、KLグリークラブが、「こんなに意義のある合唱祭を続けないわけにはいかない、あの感動をもう一度」と名乗りをあげ、めでたく第2回目が開かれたのだ。ただ歌うためだけに飛行機代やホテル代を支払い、中には仕事を休んで(サボって?)までかけつける男たちがアジア各地にこんなにも大勢いるというのはけっこう驚きだ。


飛躍するマーマーヨ
バンコクからは男声合唱団「マーマーヨ」が参加した。マーマーヨにとっては結成以来初の海外遠征だ。マーマーヨは日本人会文化部所属のバンコク混声合唱団(愛称B混)の男声パートが、女声の「正式な許可を得て」2年半前に結成された。名前は有名なチェリストからヒントを得て、関西出身の元指揮者がつけたものだ。本当は実力があるのに人前では自慢できないシャイな関西人の「照れ」からきたものか。本当は声の調子は「絶好調」と言いたいところだが、何だかエラそうに聞こえるのでマーマーヨということにしておこうかといったニュアンスだ。団員の日常の挨拶はこうだ。「声の調子は?」「マーマーヨ」。時々まちがって「ボチボチよ」と答える人もいるが、これでは団名が変わってしまう。調子が悪い時は「さっぱりや」あるいは「あきまへん」となるが、これは合唱団の名前にはそぐわない。

おととし2月の定期演奏会で初舞台を踏んで以来、多田武彦の「雨」「柳河」全曲、南安雄の「子供の歌」、コダーイの難曲「フスト」、笠置シズ子が歌った「買い物ブギ」等レパートリーを広げている。おととしの日本人会文化祭には1600バーツをはたいて黄金のタイ服ユニフォームを買い揃えた。この服の色の選定をめぐって分裂の危機があったことは日本人会報クルンテープのおととし12月号に詳しい。現在の団員は24名。転勤族が多く団員が頻繁に入れ替わるのが最大の悩みだ。しかし、どこにでも合唱好きはいるもので、今回のアジア男声合唱祭の直前にも3名が新たに入団した。しかし3月は人事異動の時期でかわりに主力の(私以外の全員が主力だが)数名が帰国予定。B混の女声の中には「頭数が足りないなら男装してテノールを歌いましょうか」というメンバーも出てきたが、これは折角の男たちだけの楽しみを壊しかねないので丁重に断る。ということで、新しい団員探しが喫緊の課題だ。もちろん初心者も大歓迎。いま入団すると、@B混の定演とアジア男声合唱祭の演奏満載のDVDA夜の歓迎大宴会参加無料券、そしてB数多くの曲の音とりテープ提供等の特典がつく。B混、マーマーヨとも新規団員募集中だ。詳しくはホームページで・・と、ここまでは大宣伝だ。


OBも加わっていざKLへ
さて本筋に戻らないと叱られる。本筋のアジア男声合唱祭だが、マーマーヨは、B混の定期演奏会が2月5日(日)に終わったばかりで、そこへむけて猛練習をしてきた。即ち、一週間後の男声合唱祭への準備は万全・・のはずだった。しかし、定演の混声合唱では、ロマンチックに歌い上げるブラームス「愛の歌」18曲、ラッパの振り付けをしたり鼻をつまんで歌ったりするジャズの名曲「イン・ザ・ムード」に挑戦し、全精力を注ぎ込んだばかりだった。菊花賞が終わった後、すぐに有馬記念を走るようなもので、全力疾走した後のレースはやはりきつい。ましてや仕事や家庭の都合でクアラルンプールの海外遠征に加われないメンバーもいる。とはいえ、ここにもグリー好きはいるもので、すでに日本へ帰ったメンバー2人から参加するという連絡が来た。これで、19名がそろった。日本から来るセカンドテナーFは、もともとB混で初代の指揮者をしていた。今回の合唱祭のために「祝典曲」を作って事務局のKLグリーに送りつけたほどの入れ込みようだ。同じく日本から参加のトップテナーCは、直前の仕事で東北地方に出張し、豪雪に見舞われて一時連絡が途絶えていたが、その後発見されてめでたく参加となった。バンコクからのメンバーも多くが意気込んで前日にKLに入った。サポーターとして団員の家族9人(うち子供4人)も同行した。


前日練習から熱気あふれる
合唱祭前日夕方、KL日本人会で直前の合同練習が開かれた。日本人会の建物は以前日本人学校として使っていたのでけっこう大きい。一年ぶりに見る懐かしい顔がある。職業や経歴は知らなくてもテナーかベースかはすぐにわかる。ことし初めて参加する人も3分の1ほどいるだろうか。前日練習には80人が参加。発声練習が始まる。これだけの人数がそろうとハミングだけで歌ってもすごい響きだ。改修したばかりの日本人会館の建物が壊れるのではないかというほどの迫力だ。

この直前合同練習で、指揮者Kが吼えた。「ピアニシモは抑えて」「最初の子音スの発音がなってない」「ここでなぜ音を切るんだ」今回の合同曲は黒人霊歌。男声合唱の定番だ。音の強弱と歯切れのよさが要求される。

Kはこの一ヶ月間で各団をまわって歌唱指導をした。昔は南洋航路の船で巡ると何週間かかっただろうが(それ、いつの時代や!)、いまはアジアの航空便が発達してそれぞれ1泊もすれば各都市を回れる。指揮者巡回は合唱の指導が第一の目的だが、去年出来上がったアジアの合唱の「輪」を広げるために各地の合唱団の状況を把握しておくことも目的だった。バンコクには1月15日に来ていただき、日本人会別館でマーマーヨメンバーが3時間みっちりと指導を受けた。「ベースとセカンドテナーはちゃんと音を外さないように練習しておいてください。」ベースは筆者が担当するパートだ。「カッポン」

Kは関学OBグリーの指揮者として知る人ぞ知る存在である。(もちろん知らない人は知らない。)会社を退職後のいまはKLグリーの指導をする一方で、KL日本人会で発声道場を開いている。きれいな声で歌が歌いたいという人や声が通らないと悩む政府要人の発声訓練をして、喜ばれているらしい。


前夜祭が異常に盛り上がる
練習のあとは地元ビールでのどを湿らせて調子を整えようと、前夜祭が開かれた。場所は同じ日本人会だ。この前夜祭がとても前夜祭と思えないほど異常に盛り上がった。各団からの決意表明があった。

バンコク「名前はマーマーヨだが、定演も終えて歌は完璧です。」

マニラ「去年の団員がほとんどいなくなった。ベストを尽くしたい。」

上海「去年結成。発展する上海と共に団も大きくしたい。」

香港「経済の中心は移っても、香港の合唱は不滅。広東語の歌も歌います」

ジャカルタ「最近混声合唱団サザンクロスも結成。今回は子供の歌に挑戦します」

クアラルンプール「OB4名が応援に駆けつけてくれて嬉しい。今回は全員が不得意な暗譜で合唱する。乞うご期待です」

去年からの顔なじみが多いので、なごやかに合唱話に花が咲く。しかし、グリーの男たちにとっては、話より歌だ。歌いたいというエネルギーが会場にほとばしってきた。すかさず指揮者Kが音頭をとる。アジア駐在者、ロングステイ者には関西出身者が多く関西弁が共通語になっている。「ほな、みんなで歌おうやないか!」

歌となると特に団塊の世代のおじさんたちは張り切る。ここまでしなくてもよいのにと思うほど、がんばってしまう。合同練習の黒人霊歌を二曲ほど全員で歌い上げる。酒の勢いもあってホンマかいなというぐらい大きな声を張り上げる人もいる。次の日の本番を前にノドを痛めないか心配だが、酔っ払ったおじさんたちには明日という日はない。ただ翌朝に後悔するのみだ。


本番の日が来た
いよいよ合唱祭当日。マーマーヨは一番バッターだ。控室で見ると、何名か顔色が優れない団員がいる。いったいどうしたんだ。トップテナーのKは、ホテルの部屋のテレビが壊れた。見たかったNHKニュースが見られなくなった。係員が3回も来て修理したのにまたまた壊れて激怒。あげく、真夜中にバスローブ姿で部屋を移ったとか。どうりで眠そうだ。同じくトップテナーのH。仕事の都合で当日バンコクを出発した。飛行機の時間が遅れ、会場に到着したのは本番の一時間前。あわてて駆けつけたので(空港から走ったわけではないが)汗がとまらず、ランニングシャツ一枚で直前の発声練習を行った。

きわめつけは、もう一人のトップテナーC、日本からの応援組だ。香港経由の航空便に預けた荷物が届かず、黄金のタイ服ユニフォームがひとりだけ・・ない。幸い楽譜は手持ちだったので、歌は頭の中に入っている(はずだ)。 そこで活躍したのがサポーターのB混女声陣だ。KLの町を回って同じ色の服を探した。歩き回ること半日、(かどうか知らないが)とうとう見つけた同系色のシルクの上着。ユニフォームより高級だ。長袖だったので応援団の女性陣がホテルの裁縫セットで半袖に縫い上げ、本番に間に合った。Cさん、ホッと一息。そうなのだ、団員たちはそれぞれの苦悩と不幸を乗り越えてこの本番に臨んだのだ。それにしてもトップテナーにトラブルが多いのはたまたまか、それとも日頃お寺へのタンブンをケチっているためか。

困難はまだまだあった。ベースにも悩める団員Kがいたのだ。昼の稲荷寿司弁当は体重別には配給されず、一人につき一つしかなかった。「これだけじゃ、声になるエネルギーが確保出きない」と、何だか倒れそうな弱弱しさだ。しかし、捨てる神あれば何とやらで、事務局が余分に取っていた弁当を希望者に配給するという行き届いた配慮をしてくれた。Kはこれをすばやく察知して2つ手に入れ、本番までにはすっかり元のパワーをとりもどした。Kにとってお稲荷さんは、ウルトラマンにとっての太陽光線みたいなものだったのだ。ベースの中核であるKのパワー回復は、他のベースパートの団員にとっては何よりの朗報だった。


マーマーヨはトップバッターだ
午後3時、合唱祭開始。アナウンスと共に、舞台にはマーマーヨが登場した。今回は黄金のタイ服にサバイと呼ばれる布を身につけている。服装で圧倒するのも、歌を引き立てるための常道だ。指揮者Fが登場。常に高い技術を求めてB混&マーマーヨの歌の水準を引き上げているB混ストイシズムの権化だ。ストイシズム(禁欲主義)というのはけっして単身赴任の心の隙間をゴルフやタニアではなく合唱で埋めている・・という意味ではない。指導者が良くないと合唱団は進化しないというのはアジアの常識だ(ちょっとほめ過ぎか)。Fは去年、バンコクでの初の合唱祭の実行委員長を勤めた。アジア男声合唱祭の生みの親の一人だ。去年は指揮をしなかったので、今年は結構気が入っている。年末から好きなタバコをきっぱりとやめ、ニコチン入りの禁煙ガムを常に愛用しながら万全の?体調で本番に臨んだ。

曲目は組曲「月光とピエロ」。堀口大学がピエロをうたった5つの詩を集めて清水脩が作曲した。終戦直後の昭和20年代に作られたこの曲は、自分の境遇や遂げられぬ恋に絶望しながらも白い化粧で笑顔を振りまかねばならないピエロの悲しさを歌いあげる。男たちにとっては、まさに自分の人生に似た悲哀を表現している男声合唱のための名曲だ。指揮者Fの手が振り下ろされる。

「月の光の照る辻にピエロ寂しく立ちにけり〜」第1曲の「月夜」。歌は伴奏のないいわゆるアカペラだ。男声合唱では、ハーモニーの良さをじっくり味わってもらおうというのか、はたまた女性ピアニストが相手にしてくれないのか、無伴奏がめずらしくない。出足は好調だ。結構ピアニシモが効いている。ピアニシモは声量が小さい分しっかりと歌え、と何度言われたことか。この一年のたけのこ幼稚園での居残り練習が走馬灯のように浮かぶ。そういえば、幼稚園は引っ越して新しくなり、練習場も移った。ピエロは前回の合唱祭が終わった後、一年計画で練習してきた曲だ。通勤の車のカセットで何回も練習するので、うちの運転手氏はベースパートを口ずさむようになったほどだ。

2曲目は「秋のピエロ」。私を含めた団員にとっては一生涯忘れられない曲である。去年8月末の土曜夕方、副団長のバリトンUは私の右隣でこの曲を練習していた。大学のグリーでならしたUは時折り大きな声で音を外しても「ゴメン、ゴメン」と笑い、周りを明るくする人気者だった。そのUが突然亡くなったという知らせが来たのは練習の翌日だった。「身過ぎ世過ぎの是非もなく、おどけたれども我がピエロ〜」合唱祭の本番中、Uの顔が浮かんだ。Uも一緒になって歌ってくれていると・・団員全員が感じていた。

3曲目「ピエロ」。「ピエロのつらさ身のつらさ、ピエロの顔はま〜っ白け〜」緩急をつけて情感たっぷりに歌わなければならない。まずます順調だ。その時、ふとズボンのポケットにある携帯電話の電源を切り忘れたことに気がついた。「アチャー、もし電話が掛かってきたらどうしよう。フォルテの時なら目立たないのですぐに消せるけど、ピアニシモだったら響くだろうなあ。そしたら百叩きの上、マーマーヨ除名だよね。」背中には冷や汗が流れるが、顔は平然としていなければならない。合唱の注意点の一つは、周りの皆と合わせようという集中力である。集中力が散漫になった歌い手は、外務省海外安全情報の「退避勧告」ぐらい危険だ。私の場合、携帯電話が頭をよぎったその直後に、なんと音の出だしをフライングしてしまった。またまた「アチャー」だ。隣に立っていた団長のベースWはきっちりと私の声を聞き取っていた。(ただし私は声量がないのであとで録音を聴いたら目立たなかった、ほっと安堵。)人生、油断するとろくな事がない。

「え〜い、ままよ」と開き直って第4曲「ピエロの嘆き」に入る。「悲しからずや身はピエロ〜」。気合だ、集中だ。舞台でスポットライトを浴びてたたずむ悲しきピエロの姿が浮かび上がる。

そして最後の第5曲「月光とピエロとピエレットの唐草模様」。ベースパートはリズム役だ。コントラバスが弾けるように「ロ〜ォン」とフォルテで入る。混声合唱団ではベースはソプラノやテナーの陰で、居るのか居ないのか存在感がないと言われて「さげすまれて」いるが、男声合唱だと、時々、主旋律が回ってくるのが嬉しい。もしかしたら男声合唱に惹かれる理由の一つはこれかもしれない。常に低い音を出して合唱を支え続けるベースのおじさんだって、たまには日が当たるところに出たいのだ。「月の光に照れされてピエロ、ピエレット〜」いよいよ最後の歌い上げの部分だ。

やった、決まった。フィニッシュは9点9、山下跳びの金メダルだ。途中経過はどうあれ、皆の顔に安堵感、満足感が漂う。場内からの大きな拍手が嬉しい。フィギュアスケートでもそうだが、一般的にトップバッターはやりにくい。しかし、このマーマーヨの歌で、合唱祭のムードが急激に盛り上がったのは間違いないと信じる。

アンコール。マーマーヨが選んだのは教会での演奏にあわせたアルカデルト作曲の「アヴェ・マリア」だ。抑えた声が会場に響き渡る。う〜ん、よかったんでないかい。暖かい広い心を持った450人の聴衆から再び大きな拍手。退場途中に日ごろ厳しい合同演奏の指揮者Kからも「とても素晴らしかった」と声を掛けられる。小学生のころ、はじめて先生に誉められた時の嬉しさが蘇る。歳をとるにつれて他人の誉め言葉は生活を豊かにするビタミンとなる。この喜びを持ってまた歌い続けよう。ともあれこうしてマーマーヨ初の海外遠征は、見事に花開いたのであった。


グリーの花が咲きほこる
他のグループについても紹介しよう。二番手はマニラグリークラブ。「世界の愛唱歌より」と題してダヒル・サヨなど5曲を披露した。団員22名。今回はうち12名が参加した。フィリピンの伝統服、バロンタガログでの登場だ。経験者がこの一年で次々と帰国したが、残る団員が結束して毎週の練習に臨んでいる。

3番手は、初出場の上海グリークラブ6名。「日中友好を歌声に乗せて」がテーマだ。自分たちのクラブソング(団歌)を初公開。中国語の「茉莉花」などを歌った。おととしの夏、2人の男がカラオケ店でハモった(注:和音でハーモニーを作ることをいう)のが団の始まりだという。正式結成は去年だ。練習場所がないのが悩みで、団員の自宅や営業前のレストランを練習に使っている。週末に3時間をかけて上海に歌いにくる団員もいて、これで一か月分の小遣いがなくなるという。(練習後に夜の発声練習=カラオケ酒?に行かなければこんなにかからないらしいが)。団員のほとんどは合唱経験者だという。どうりで見事なハーモニーだ。「ダークダックス」ならぬ「上海ダックス」だ(北京なら北京ダックス?)。上海の経済発展と共に日本人駐在者は増え続けている。上海グリーも今後どんどんパワーアップしそうだ。

4番手は香港日本人倶楽部男声合唱団。7名でことしも「香港発世界一周」だ。ミッシェルや黒田節に加えて、広東語の「獅子山下」という歌が美しい。香港のクリスマスコンサートなどにも参加して活動の幅を広げているが、軽快なテンポの指揮者Sはすでに香港滞在5年。会社での人事異動が今後の注目点だ。

5番手はジャカルタ・メール・クワイヤー8名。南安雄の男声合唱曲集「子供の詩」だ。これはマーマーヨもおととしのファミリーコンサートで歌った。終戦直後の時代の子供の気持ちを歌ったとても親しみのある曲だ。ジャカルタの男声合唱の歴史は25年と古いが、やはり団員確保が悩みだ。去年は男声メンバーが全員入って新しい混声合唱団を作り、インドネシアの合唱の底辺を広げようとしている。

そして最後は、地元のKLグリークラブ。ことしは30名の最大所帯だ。この団の特徴は団員の世代の幅が広いことだ。団内にロージンズ・フォーという平均年齢70歳のカルテットを持つ。これはKLには定年退職後ロングステイで住む人が多いためで、代表のMによれば、現役駐在員中心である他の5つの団とKLグリーには平均年齢で20歳以上の開きがあるらしい。歳をとっても音楽を愛し、歌うことで若返ることができるのは素晴らしい。小池義郎編曲シリーズで「君といつまでも」「桃色吐息」など5曲。「ドラえもんのうた」も楽しかった。


ああ堂々の合同演奏
全ての団の発表が終わって、いよいよ90人全員による合同演奏だ。遅れて舞台に上がろうとすると立つ場所がない。教会の祭壇を利用して並んでいるのでやや狭いのだ。何とか列に入れてもらうが、楽譜が開けない。う〜ん、暗譜しているわけでもなし、どうしよう。その時、都合がよいことに隣のマーマーヨ団員Kが、ちょうどよい方向に譜面を上げているのが視界に入った。よし、これだ。私は合同演奏をすべて隣のKの楽譜を見ながら歌うことにした。これならいつも顔が指揮者のほうを見ることになるし、「聴衆は私が暗譜していると誤解するだろう。しめしめ」と思っているうちに、指揮者のKが手を振り下ろす。「スティールアウェイ〜」曲目はまず黒人霊歌の「Steal away」など4曲。「男声合唱の持つリズムとハーモニーは黒人霊歌の音楽的な特徴を表現するのに適している」らしい。プログラムに書いてあるように「現世の苦しみに耐える黒人たちの心の叫びと喜びを遺憾なく発揮」できるだろうか、ちょっと面映い。が、90人集まるとピアニシモにも迫力が出る。歌っていてもいい感じだ。阿波踊りに「踊る阿呆に見る阿呆おなじ阿呆なら踊らにゃそんそん」という囃子があるが、この合唱は自分で歌うより会場で聴いてみたい気分だ。

黒人霊歌が終わり、次は「ウ ボイ」。この曲は「戦場へ」という意味で、もともと東欧クロアチアのオペラの中の行進曲だ。オスマントルコと戦った英雄が決死の突撃をする場面で流れる勇壮な曲だ。第一次大戦後に船が遭難して日本に滞在したチェコの兵士から聞き取りで伝わったこの曲は、日本では関学グリークラブの伝統歌だ。合同演奏の指揮者Kは関学グリー出身で、OBグリーの指揮もしていた。当然、この歌には深い思い入れがある。とはいえ、本番中、指揮をしているKの顔が厳しい。怒っているように見える。そうか、歌の速度がずいぶん速いのだ。しかし、いったん勢いがついた90名の声は雪道をころがる雪だるまのように急には制御できない。練習なら一旦停止となるかもしれないが、本番は最後まで一気に突っ走った。

私の方はと言えば、隣のベースKの楽譜を見ていい調子で歌っていたが、Kが突然2行ほど飛ばしてページをめくってしまった。流れが早すぎて歌っている部分がわからなくなったのか。それともKは暗譜していて楽譜はあまり気にならないのか。いづれにせよクロアチア語の歌詞が正確にわからなくなり、うろ覚えで歌うことになった。やはり他人をあてにしてはいけない。好事魔多しである。

最後の曲「Till we meet again」。1950年代の映画に使われ有名になったワルツだ。指揮者Kが体を180度入れ替え、会場にむかって手を振る。さまざまな国籍の聴衆が一緒になって歌う。歌っている時の顔は、みんな幸せそうだ。アジアで働き、生活する男たちが、経済面だけのつながりでなく、歌うことを通じて海外に暮らす日本人や地元の人たちと心を通わせることは、とても楽しいし、意義あることだと思う。こうして第2回アジア日本人男声合唱際は大成功のうちに幕を閉じた。KLグリークラブのみなさま、ホスト役本当にありがとうございました


アジアに広がる合唱の輪
家族を含めて150名近くが加わった打ち上げが開かれた。

香港のベースYの両親と妹さんは、北海道知床の斜里町から50度近い温度差をものともせず駆けつけた。

「素晴らしかった。息子も高校から合唱をやっていたが、だんだんベースが板についてきた。」
何歳になっても父親は子供にとっての良い批評家だ。

地元KLの熟女連によるゾクゾクくるダンス「亜麻色の髪の乙女」など、会場ではそれぞれの団が昼間とは違った趣向の出しもので参加者を沸かせた。

合同演奏の指揮者Kの講評挨拶。
「各団ともこの1年で研鑽を積み、数段上の力がついていると思う。メンバーが変わっても自分たちのチームカラーが出来ていることが素晴らしい。」
「月光とピエロは気持ちを打った。去年より出場者が10人少なかったにもかかわらず、内容は素晴らしかった。」
マーマーヨについてもこれ以上ないほどの褒め言葉をいただいた。Kも亡くなったマーマーヨの副団長Uのことを思い浮かべながらこの歌を聴いてくれていたのだろう。Uは関学グリーでKの後輩だった。ともあれ、Kが私の携帯電話の件を知らなくて本当によかった。

男声合唱団の宴会らしく、最後は各団の指揮者が棒を振って大合唱だ。「ウ ボイ」の勇壮な歌声が会場に響き渡った。来年の第3回合唱祭はマニラが開催にむけて動きはじめた。オリンピックや国体のようなもので、大きな大会を開くと地元開催にむけて団の力がつき、きっと団員の数も増えることだろう。マーマーヨにも最近インドネシア人のテナーFが入団した。マニラにもフィリピン人テナーが入って楽しく歌っている。今後はもっともっと国際化が進んだアジア男声合唱祭になるかもしれない。

アジアの男声合唱おじさんパワーは今やとどまることを知らない。
(原田記)

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